『精神分析という営み』を読む ①


『精神分析という営み』藤山直樹/岩崎学術出版社(2003年)

はじめに

 精神分析という心理療法を通して人が変化していくプロセスについて、いきいきとした臨床描写を通して語っている本です。

 専門家向けの本なので、理論的な部分は少し難しく感じるかもしれませんが、多少わからないところがあっても一気に読み通せてしまえるのではないかと思います。

 この本を読んでいくうえでポイントになるのは、「私(主体性)の危機」と「こころの空間」というキーワードです。

人が変化するということについて

 「人は変わらない」という言葉をよく耳にします。たしかに、個人のあり様は、持って生まれた特性と人生の中で体験してきた様々なことの積み重ねによって作り上げられるので、そう簡単に変化するものではありません。

 しかし、「壁にぶち当たる」という言葉があるように、これまでの自分ではどうにもならない状況に直面することが、人生の中ではときに生じます。それは個人にとって危機でもありますが、壁を乗り越えられたときに成長という形の変化につながることもあります。

 自分の力や周囲のサポートを通して、危機を乗り越えていける場合もありますが、それが困難なこともあります。心理療法はこうした危機に直面した方を対象としたサービスです。

 そのアプローチは様々で、個人の変化ではなく周囲の環境を整えたり、変化よりもその人のあり方を補強していくような心理療法もあります。

 しかし、自分自身のあり方に大きな困難を抱え、その本質的な変化を求める方もいらっしゃいます。そうしたニーズに応える心理療法の代表が精神分析なのです。

 では、人はどうやって変化することができるのでしょうか。

 その重要なきっかけとなるものとしてこの本でクローズアップされているのが、「私(主体性)の危機」というキーワードです。

「私の危機」について

 ここでいう「私」というのは、心理療法を受けに来たユーザーのことではなく、心理療法を提供する治療者を指しています。つまり、心理療法の中で治療者が体験する危機について語っているのです。

 人生の危機にある人が心理療法にやって来るのに、治療者の危機に焦点があたっていることに違和感をもたれるかもしれません。しかし、情緒的な困難を抱えたクライエント(心理療法のユーザーのことを一般的にこう呼びます)と共に時間を過ごす中で、治療者の側にも様々な情緒がわき、ときとして冷静であり続けることが困難になる場合があります。つまり、巻き込まれるということです。

 巻き込まれてしまっては、専門家として機能できないではないかと思われるかもしれません。たしかに巻き込まれていることに無自覚なまま、自分の感情にふりまわされてしまったら、専門家の要件を満たしているとはいえないでしょう。その一方で、情緒的に距離を取って批評家のようなスタンスをとってしまったら、クライエントの抱える情緒的な苦悩に真によりそうことはできません。

 なかば巻き込まれつつも、巻き込まれつつある自分を自覚し、その体験からクライエントの抱える問題を理解していくスタンスが求められるのです。

 精神分析では、こうした現象のことを転移や逆転移といった専門用語で語ります。より日常的な言葉でいえば、深い水準で人と交流する時に自分が自分ではなくなってしまったかのような体験が生じるということに焦点をあてているのです。

 たとえば、恋人とけんかになった場面をイメージしてみてください。普段は控えめでおとなしいはずの自分が烈火の如く怒りを爆発させたり、自分にとってかけがえのない相手のことを傷つけたくなったりするかもしれません。あるいは逆に、よく知っているはずのパートナーのこれまで見たことがないような部分に直面し、実は自分が相手のことを何もわかっていなかったのではないかという思いにかられるかもしれません。

 この例のように、人と人が深く関わり合うとき、自分自身や他者がまったく未知の恐ろしいなにかとして体験されることがあります。こうした局面において、自分自身が大きく揺さぶられること、これが「私(主体性)の危機」です。

 精神分析の中ではこうした「私の危機」が治療者とクライエント双方に生じます。さらに、こうした「私の危機」は多くの場合無自覚で、無自覚であるからこそ水面下で事態が進行し、突如として抜き差しならない現実の危機としてたち現れるのです。

 この本では、こうしたそれまで自覚されていなかった「私の危機」に治療者が開かれていくことを通して、それが意味のまとまりをもったものとして形をなしていくプロセスがいきいきとした臨床描写の中で描き出されています。さらに、治療者が「私の危機」を抜け出し、そこで得られた新しい視点からの理解を伝えたとき、クライエントにも変化の兆しが生じるのです。

 ここらへんの話は、この説明を読んだだけではなかなかイメージしづらいと思いますので、興味を持たれた方は、是非『精神分析という営み』を手に取っていただければと思います。

おわりに

 人が本質的な部分で変化をするためには、他者との深い交流を通してそれまでの自分が揺さぶられるような危機を体験する必要があること、さらにその危機はクライエントだけでなく治療者にも生じること、治療者がその危機を自覚しそこで得られた理解をクライエントと共有できたときにクライエントにも変化の兆しがあらわれることを解説してきました。

 では、どのようにして治療者は「私の危機」を自覚し、そこから抜け出していくことができるようになるのでしょうか。そこでポイントになるのが、ふたつめのキーワードにあげた「こころの空間」です。

 次回も引き続き、『精神分析という営み』を取り上げ、「こころの空間」に焦点をあてて解説していきます。

書籍情報はこちらを参照(ブクログのリンク)

https://booklog.jp/item/1/4753303055


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