はじめに
ストレスという言葉は日常的に様々な場面で使われている言葉です。心理的に不快な事柄や、不安やプレッシャーを感じさせるようななにかという意味合いで使われることが多いように思います。
しかし、これはストレスのもともとの意味合いとは少しずれています。そして、このズレがあることによって、ストレスというもののとらえ方が一面的になってしまっていないかと私は感じています。
ストレスはふたつに分けて考える
日常的な意味合いで使われているストレスという言葉は、厳密にいうとストレッサー(ストレス刺激)と呼ばれます。そして、ストレッサーへの反応として生じる心身の反応のことをストレス(ストレス反応)と呼ぶのです。
たとえば、やわらかいゴムボールのようなものを頭に思い浮かべてください。このボールを手でギュッと押すと、ボールの押された部分はへこみます。ボールを押す力がストレッサー、ボールに生じるへこみがストレスです。
なぜ、このふたつに分けて考える必要があるのかというと、ストレス刺激が同じであっても、ストレスの現れ方には個人差が大きいからです。ゴムボールの硬さや大きさによって、同じ強さで押されたとしても、へこみ具合は変わってきますよね。
ストレスは外的な負荷だけで決まるわけではない
ストレス状況において、「このぐらいたいしたことない」とか「みんな我慢しているんだから自分も我慢しなければいけない」と自分に言い聞かせる体験をしたことは誰しもあるのではないかと思います。世間一般の基準に自分を照らし合わせることは日常的なことですし、こういった考え方で辛い状況を乗り越えられることもあるでしょう。
ただ、その辛い状況に持ちこたえられなかったとき、こうした考えは強い自己否定につながります。周囲と比べて自分だけが劣っているような劣等感をかきたてるからです。
しかし、この考え方はストレッサーのみに焦点をあてていて、ストレス反応の個人差の部分を考慮に入れていないという点で、一面的なものの見方であるといえます。ボールの例でいえば、ボールを押す力だけで判断しており、ボールがどんなボールなのかということを考慮にいれていないからです。
具体例で考えてみましょう。仕事でミスをしたふたりの若手社員が、上司に叱責を受けたとします。ひとりは、叱責を受けた直後は少し落ち込んだ様子が見られましたが、数時間後にはいつもの様子で淡々と業務をこなしていました。もうひとりは、その日はずっとその出来事を引きずり、家に帰ってからもそのことを思い返して悶々とし、翌日会社を休んでしまいました。
このふたりを比べると、後者が打たれ弱いという印象をいだくかもしれません。上司に怒られたという共通の出来事への反応としてみればそう見えるでしょうが、出来事が同じだからといって、そこから受けるインパクトも同じだとはいえません。たとえば後者の若手社員は、元々の特性として不注意傾向があり、幼い頃から大人に叱責されながら育ってきたという背景があったとしたらどうでしょうか。
本人としてはミスをしないよう毎回細心の注意をはらっているにもかかわらず、これまでに何度も大きなミスをしてしまっていたとしたら、同じ業務上のミスを叱責されたという出来事であっても、前者の若手社員とはその意味の重さが違ってきます。
また、自分なりに努力をしてもうまくできないことを幼い頃から怒られ続けていたとしたら、自尊心がずっと傷ついてきた可能性があります。そうした傷つきがあると、上司からの叱責という出来事に対してもより敏感に反応しやすい面があるのもやむを得ないことのようにも思えます。
この例のように、ストレスというものを考えるうえで、ストレス刺激(上司からの叱責)だけを切り取って考えるものの見方は、一面的なものだといえます。出来事は同じであっても、それが与えるインパクトの大きさは、個々人の生得的な特性や育ってきた背景など、個人的な要因によってまったく異なるのです。
おわりに
ストレスは、ストレス刺激の負荷だけで決まるのではなく、それをどう体験しているかという個人的な要因にも目を向けて捉える必要があることを解説しました。
もし、今なんらかのストレスを抱えているのであれば、他者との比較ではなく、苦しさを感じている自分自身をまず認めてあげてください。人と同じであることに腐心して自分をすり減らすのではなく、自分にとって無理のないあり方を見出していくことが重要です。
とはいえ、生きているかぎりなんらかのストレス負荷がかかること自体は避けられませんし、それに上手に対処していくことも必要です。
また、対処のためには、どういったことがストレスを生じさせるのかという背景を知ることや、ストレス反応のあらわれ方を知ってストレスを自覚できるようになることも重要です。
次回から、ストレスの背景やあらわれ方、対処のポイントといったテーマで解説をしていきたいと思います。